連載
【島国大和】日本のRPGはもう駄目なのか?
島国大和 / 不景気の波にもがく,正体はそっとしておいて欲しいゲーム開発者
島国大和のド畜生 出張所 |
「日本のRPGはもう駄目なのか?」
なんという失礼な。
どうも皆様。またお会い出来ました。島国大和でございます。
日本のRPGを駄目扱いする人達
欧米の大きなゲームメディア/ゲーム系Blogの間では,「日本のRPG」はやたらと揶揄されている印象です。いわゆる「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」のような日本製のRPGを指して「JRPG」と呼んでいるのですが,その使われ方を見ていると,もはや蔑称(べっしょう)のように感じます。曰く,
「生きるか死ぬかの冒険に子供を参加させるのはおかしい」
「細身の美少年が大きい刀を振りまわすなんて無理がある」
「ターン制で,順番に攻撃するなんてリアリティがない」
「ハゲヒゲマッチョを少女がパンチで倒すなんて変だ」
「子供が数人で世界を救うのってどうなの?」
「最初ダメージ10とか言ってたキャラがダメージ99999って何よ?」
ああ。言いたい事は良く解る。一部の人の意見だとしても,とりあえず納得。
自分もJRPGは仕事でしか遊ばなくなりましたし。
ようするにお約束が通じてないんです
でもですね。
例えば将棋に対して,「敵味方が交互に動くなんてリアリティがない」とか誰も言いません。少年漫画の主人公の爆発的な成長にだって,「そんなに強くなるかよ」とか突っ込まない。
ゲームのルールというのは,現実をデフォルメして解りやすく面白く簡潔にするのが重要です。そのデフォルメ具合で面白くもつまらなくもなる。
デフォルメせずに全部現実のままなら,べつに現実で良いんですよ。ゲームである必要が無い。普通の人が勇者にもF1ドライバーにも格闘家にもなれるからこそ「ゲーム」です。
よく比較対象になるFPSだって,銃弾をどんなに食らっても,じっとしてたら回復するし,死体が電気ショック一発で健康体になり,注射一本で怪我も治ります。
だってそうじゃなかったらゲームとして面白くないもん。
戦場で,かすり傷からばい菌が入って敗血症や破傷風で死ぬようなリアリティは,少なくともゲームには不要です(そういうのがウリのゲームがあれば,それはそれでちょっと遊びたいですが)。
ゲームはそれぞれ,そのゲームの内容に合わせて,世界,システムをデフォルメしています。
なのでJRPGは,そういうデフォルメを選んだゲームってだけです。もう文法。
「美少年が細腕で大剣振り回して世界を救って99999ダメージですよ」っていう,そういう世界。JRPGとFPSは,ただデフォルメの方向性が違うだけ。
JRPGとFPS比べて云々するのは,アニメと実写,絵本と漫画,小説と映画。ジャンル違いを無理やり比べてるようなもんじゃないかと。
文法それぞれに特異な表現分野がある。それで良いじゃない。
しかしJRPGが悪く無いわけじゃない
先ほど,将棋を例に出しました。
将棋は,交互に駒を動かして遊ぶゲームですが,それぞれのコマは歩兵だったり王様を表現しています。これが「歩兵の癖に前にしか進めないなんてヘンだ!」と言われないのは,高度に抽象化されたゲームだからです。
ちょっとJRPG風に変えてみましょう。
・物凄く凝ったグラフィックで書かれた,王様や,歩兵,馬。
総勢20ユニットvs.20ユニットの局地戦。
・しかし,それぞれの軍勢は1ターンに1ユニットしか動かす事が出来ない。
ターンは敵と交互。馬はかならず斜め前にジャンプのみ。
移動も9×9の升目単位。
・時々ムービーが挟まったりして,飛車や角の過去が語られ,
銀将の金将へのほのかな恋心が表現されたりする。
・敵に召し取られた自軍のユニットは裏切り者として敵側にあらわれる。
あ,書いてて一瞬面白そうな気がしましたが。これはゲームとしては駄目です(ミスマッチを楽しむには良いですが)。
なぜなら将棋というのは,ルールや表現をひっくるめて,高度に“抽象化”されたゲームなので,リアルさを指向する”文法”とは相反するからです。
駒や盤面などをリアルに作りこんでも,逆にそれが「騎兵はそんな走り方をしない!」というような突っ込みどころになり得ます。例えば,スペクタクル映画のような壮大な映像で,ユニットがターン制で1マス1マス動いていたら,そこにもどかしさや違和感を感じない人などいないでしょう。それならばとルールを変更してしまえば,それはもう将棋たり得ません。
「JRPG」という文法の限界
要するに,
「日本産のRPGも高度に抽象化されたゲームなので,その文法に叶った表現があるだろう」
「ウィザードリィ」と「ウルティマ」の影響を受けて日本で爆誕したドラクエは,それら2作品のレベルアップの概念を少年の成長物語として描きました。
ゲームシステムの文法と表現がガッチリ合致しています。あの絵,あのシステム,あのシナリオ。どれかを取り替えてリアルにしたりデフォルメしたら,あの絶妙なバランスは崩れてしまいますね。
そこに来て,ファイナルファンタジーですよ。とくに最近のリアル路線!
あの絵,あのシステム,あのシナリオ。
「すげぇ。根本からバラバラだー! どこも噛み合って無い!」
いやいやいや。失礼な。ファイナルファンタジーはファイナルファンタジーで,大きな役割を担っていると思います。
やっちまったもん勝ち
ちなみにFPSを楽しむには能力が要ります。
酔わない体質。反射神経。地形を覚える記憶力。立体的空間把力。この辺の能力がないと,FPSというジャンルは楽しめません。そして,そんな風にハードルが高いためか,どうしても日本では大ヒットしていません。
ゲームとして難しいからこそゲームとして成立しているなんて,FPSは中々に「ゲーム」です。ゲーマーの数が圧倒的に多い欧米市場が羨ましいですね。
JRPGが「レベル上げさえしてれば誰だってエンディングまで行ける」というシステムで,一般人にまでゲームを波及させたのと逆ベクトルです。
……言いたい事解っちゃいました?
そうです。RPGは誰だって遊べるわけです。逆に言うとRPGしか遊べない人もいる。だったら,RPGで文法に多少合わなくても,凄いグラフィックとシナリオを楽しみたい人の為にゲームを作ってもいいじゃないか。
やっちまえばいいんですよ。大予算投入して,ど派手な映像を作り込んで,でもゲームシステムは誰もが安心して遊べるスタイルで。ハリウッド映画にしたって,「ドカーン」「バキューン」「ズドーン」という方向性で,人種や国境を越えた娯楽たり得てるわけですから。「金掛かってるなー!」と素直に楽しむ余裕があってもいいんじゃないかと思います。俺やあなたのサイフで作ってる訳で無し。
「誰にでも遊べる超大作を作れ」
そういわれると,方法はある程度限られちゃう。だから,多少イビツなものになるのは仕方が無いんじゃないかとも思うわけです。
日本のRPGのこれから
FPSだって,ここ十数年ゲーム性の変化はたいしてありませんが,あのジャンルはハードウェアの進化の影響を直接受ける為,まだまだ「あれもしたい」「これも出来る」という余地があります。
しかしJRPGは,この先どっちに進むべきかは迷うところでしょう。
文法が違う,という言い方をしましたが,落語でハリウッドのスペクタクル映画を表現するのは無理ですし,その逆も無理です。落語もハリウッド映画も,表現としては成熟しきっていますから,その表現に合った物語があります。
この辺がゲームの妙なところで,ゲームはテレビに絵が出てコントローラーで操作する,という部分が一緒なので,JRPGもFPSもいっしょくたにしてしまう力があります。まったく別の文法で成熟してきた2ジャンルを,です。
でもこれはこれで,正直魅力的ですよ。なぜなら,まだまだ成長の余地(議論の余地)があるって事ですから。
いずれによせ,JRPG的な良さ,誰でも遊べる簡易さとボリュームを持ちつつ,他のゲームの良さもどん欲に吸収した「何か」そういうものが出て来ても良い時期ですよね。
新たなゲームシーンを作るのはそういう「何か」でしょう。
と言った感じで今回はこの辺で。ご清聴ありがとうございました。
■■島国大和■■ 有名ゲーム系Blog「島国大和のド畜生」の管理人で,不景気の波にもがく,正体はそっとしておいて欲しいゲーム開発者。最近,仕事の都合で古いゲームを遊んでみたという島国氏だが,曰く「マシンパワーが増えて良かったのは,敵の数を増やせる事だなぁ」とのこと。確かに無双シリーズやデッドライジングなんかも,マシンパワーあってこその作品ですもんね。でも,3〜4体のキャラで画面が点滅していたファミコン時代が懐かしいですよ。 |
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