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[CGWORLD 2012]“3D映像の盛衰とこれから”が語られた大口孝之氏の講演「3D世紀 立体映画の100年」をレポート。3D映像の歴史を俯瞰できる資料の数々も一見の価値あり
ゲームの世界でも3DSが立体映像をサポートしているが,これらの技術や作品はどこから来て,どこへ行くのだろうか? 実は講演タイトルである100年「以上」の歴史を持っている立体映画について,立体映像/CG/VFXジャーナリストの大口孝之氏がハイテンポで語った60分を,ざっくりと紹介したい。
3Dを簡易化して生まれた2D映画?
まず大口氏は,立体映画の歴史は19世紀初頭から始まっていることを指摘した。2Dの動画は1825年のソーマトロープなどに遡れるが,1832年にはチャールズ・ホイートストン氏のステレオスコープのように,3Dで映像を表示する装置が発明されている。19世紀末(明治時代)には裕福な家庭を中心にニュース映像などを立体画像で見られる「ステレオカード」の訪問販売が行われていたという。
3D映像を動かそうという試みも19世紀中葉には始まっており,1852年にはビオスコープという機械が登場。大口氏は「2Dの動画と同時期,あるいは3Dが先行する形で登場した」と指摘する。
とくに面白いのは映画で,映画の世界においては2Dよりも3Dのほうが「圧倒的に先に出てきている」「2Dが進化して3Dになったのではなく,先に3Dがあって,その機能を省略して2Dになったというのが正しい映画史」であるという。これはテレビも同様で,1928年の時点ですでに,最初の3Dテレビ実験が行われている。
昨今,家電AV機器で注目を集めるヘッドマウントディスプレイ(以下,HMD)も,1957年にはほぼ現在と同じ形のものが考案されている。このHMDを開発したモートン・ハイリグ氏は,1963年にオートバイゲームを開発。これは一人称視点で描かれた風景を3Dビューワーで見るゲームで,立体音響はもちろん,風や振動,匂いまで再現していた。こういったゲームへの応用は,セガのVR-1(1994年),任天堂のバーチャルボーイ(1995年)などでも試みられたが,いずれも成功を収めることはなかった。
さまざまな3D映像技術とその盛衰
ステレオスコープやHMDなどは「ビューワー式ディスプレイ」に属する技術だが,3D映画にはこれ以外にもさまざまな方法がある。大口氏はこれらを順に概説していった。
■波長多重化
この方式が画期的だったのは,ステレオスコープのようなビューワー式ディスプレイでは1人しか立体映像を鑑賞できなかったが,アナグリフ方式によって多人数が同時に一つの映像を見られるようになったという点だ。当然これを映画に応用しようという動きも現れ,1901年にはアナグリフを用いた立体映画システムが考案されている(しかし,この段階では実用化はされなかった)。
アナグリフによる3D映画は1922年に初登場するが,この背景にはラジオの登場があったという。新しいメディアが登場すると映画業界が危機感を抱き,その対応として「3D」にお呼びがかかるという構図である。このときに映画はトーキー,2色カラー,ワイドスクリーンといった工夫を行うが,アナグリフによる3D映像もその一環だったのだ。
■アクティブ・ステレオ
アクティブ・ステレオ(アクティブ・シャッター)は,右目用と左目用の画像をすばやく切り替えて表示し,それに合わせて3Dメガネの左右の視界を遮ることで立体視を実現する方式だ。現在も3Dテレビや劇場などで利用されている。
一見すると新しい技術に見えるアクティブ・ステレオだが,1897年には最初のシステムが考案されており,1922年に映画が上映されている。だがこれはメガネのシャッターをモーター制御していたため非常に音がうるさく,またフリッカー(ちらつき)が激しいということもあり,すぐに廃れてしまった。
……のだが,1938年に円筒形のシャッター装置が発明され,これは1970年代まで実用的に利用されていた(分子設計などに利用)。とはいえまだ問題は多く,なにしろ目の前で羽が高速回転しているものなので,まつげやまぶたを巻き込むというトラブルが多発していた。
■裸眼3D映像
裸眼3Dは,昨今では任天堂3DSやシャープのスマートフォンなどでお馴染みの技術である。これはいかにも新しい技術に思えるが,そのルーツは恐ろしく古く,実は1692年にまで遡る。当時,三角柱を並べたキャンパスを使うことで,右から見た時と左から見た時で違う絵が見えるという仕組みがあり,これがヒントとなって1896年に裸眼立体写真が登場。独自の発達を遂げていく。
動画では1930年に裸眼立体映画のデモが開発され,その後もフランスなどで裸眼3D映画の劇場ができないかという実験が続けられたが,これらはあくまで実験の域を越えなかった。
一方,裸眼3D映画を国策として興行に載せた国がある。それは今はなきソビエトだ。ソ連では,1935年に基本的な裸眼3D映画のシステムが考案され,1941年には専用劇場も作られている。さらに1947年には改良型の劇場が公開された。この方式による裸眼3D映画は,1970年の大阪万博ソ連館でも限定上映されている。
しかし,やはり裸眼3D映画にも問題はあった。立体視できるスイートスポットを自力で探し,その位置に首を固定し続けなくてはならないため,3Dメガネ以上に疲労度が高いのだ。これを解決するためにガイドとなるバイザーが設置されたというが,それでは3Dメガネをかけるのと変わらず,裸眼であることのメリットがスポイルされる。
かくして,国策として推進された裸眼3D映画ではあったが,1976年の作品を最後に,メガネ式に移行してしまう。
裸眼3Dテレビは日本でも多数製作されており,最初の試作は1961年になる。1985年には松下電器が裸眼3Dテレビをつくば科学万博(1985年)に出品,1987年には東京大学生産技術研究所が裸眼3Dに対応したCRTディスプレイを発表している。
なかでも頑張っていたのがサンヨーで,1993年に裸眼3Dディスプレイを発売,高度な工夫がなされた製品を多数送り出している。しかし機材があっても「それで何を見るのか」というコンテンツの問題は解決されることなく,結局,コンテンツ供給がないということから事業としては失敗に終わった。
続いてシャープが2002年,携帯電話に3D液晶を搭載。ノートPCなどにも搭載していくが,売れ行きは芳しくなく,2006年には一度撤退する。が,後にスマートフォンで再登場したほか,3DSの裸眼3Dパネルはシャープ製ではないかと見る向きもある。
■偏光フィルター
偏光フィルター方式は,右目用の画像と左目用の画像を一度に投影し,これを偏光メガネを用いて左右に分離するという方式だ。
偏光フィルターを実用化したのはエドウィン・ランド氏で,彼はポラロイド社の創業者でもある。1929年に開発されたこの偏向フィルターを利用した立体映画は,1939年のニューヨーク万博で上映されている。
偏向フィルターを使った3D映画は,1950年にアメリカでテレビの普及が急速に進んだことにより,ハリウッドが危機感を抱いたことによって注目を浴びる(ラジオの普及時と同じ理屈だ)。だがこのブームは,1953年から1954年上半期で事実上終わってしまった。理由は機械的なものから風評被害までとさまざまだが,ここでもやはり作品が立体効果に依存し過ぎていたり,3Dであることが鑑賞の邪魔になったりという本末転倒が起きていたと大口氏は指摘する。またなにより,同時期にワイドスクリーンが大きな成功を収めたことが,3D映画にトドメを刺すことになったという。
繰り返される3D映画ブーム
さて,さまざまな方式が現れては消えていった3D映画の歴史だが,ワイドスクリーンに押され,かつ映画産業全体が衰退し始めたことによって絶滅しかかったところを救ったのが3Dポルノ映画であったという。
これによって1970年台を乗り切った3D映画は,1980年から第2次のブームに突入する。70年台中葉に成熟した家庭用ビデオ(VHSやベータ)において,3D映画がリリースされるようになったのである。
しかしこの試みは,機械的な問題(家庭によって色がバラバラで,かつコンポジット信号だったため,立体視がうまくいかないケースが頻出した)に直面,商業的には失敗する。
この第2次ブームも,作品の質が伴わず,1983〜1984年をピークに衰退していく。だが同時期にテーマパークのブームが到来,「博展映像」と呼ばれる分野に3D映画が進出していく(この動きは現在も続いている)。また1993年頃には日本国内でステレオグラムブームが発生,「目がどんどん良くなる本」のような出版物やステレオ写真,3Dビデオソフトなどが一時的に盛り上がった。しかし,これもまたキラーコンテンツに欠け,1年ほどでブームは終息する。
ブームが本格化したのは2010年,「アバター」の大ヒットによるもの。この大ヒットをして,2010年は「3D元年」と呼ばれる。以降,今に至る3D映画ブームが続いている。
3Dの利点を活かした作品が必要
とはいえ現状はといえば,「アバター」の衝撃も薄れ,「3Dであれば観客動員が確保できる」という時代は終わっている。大口氏はこの現状に対し,「本当に3Dに向いた題材を選ぶ必要がある」「ある程度非日常的な,3Dが意味を持つ題材を選ばねばならない」と指摘する。
また「日本人は3D映像が嫌いなのではないか」という主張に関しては,明治から昭和にかけて活躍した日本の詩人萩原朔太郎氏も同じことを語っていたことを指摘。また日本画や日本のアニメーションは平面的な表現を指向しており,フルCGアニメでも立体を重視する海外作品に対し,日本の作品はトゥーンシェーディングが多い。加えるに,大量の機材を使って撮影する3D映画は,予算の限られた日本映画では難しいという事情もある。では日本映画において3D映画は絶望的かといえばそうでもなく,3Dの利点を活かした作品も作られ始めているという。
最後にもう一つ,「もう3D映画ブームは終わったのではないか」という観測に対し,大口氏は全面的にそれを否定した。「3D映画ブームは終わった」という観測の根拠は興行成績の低下にあるが,それは「アバター」に対しての比較であり,2D映画にも「アバター」を超える興行成績を出している作品は存在しないと氏は語った。
なお大口氏が所有する3D映画関係の資料は,神奈川県川崎市にある東芝科学館(公式サイトは「こちら」)において2012年11月30日まで開催されている,「3Dイノベーション展」で見ることができるとのこと。興味のある人は足を運んでみてはいかがだろうか。
また本講演は大口氏も著者として名を連ねている「3D世紀-驚異-立体映画の100年と映像新世紀」(出版:ボーンデジタル。Amazon.co.jpでの購入はこちら)を踏まえているとのこと。興味のある人は,こちらもチェックしたいところだ。
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