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連載
Access Accepted第815回:「The Sims」25周年,“ゲーム”の幅を広げた名作の過去とその後
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Electronic Artsの「ザ・シムズ」シリーズが,2025年2月4日で第1作から25周年を迎えた。現在は「ザ・シムズ 4」が基本プレイ無料でライブサービス化しているほか,次回作となるコードネーム「Project Rene」の話題も聞こえてくるが,今回はこの名作シリーズの過去を振り返って,どのようにして生まれ,何を成し遂げたのかをまとめておこう。
ゲーム化するのが難しいゲームの誕生
1月31日,アメリカのカリフォルニア州ロサンゼルス近郊を襲った山火事が,29人もの死者を出した。
この災害で筆者が思い出したのは,1991年10月に同じカリフォルニア州のサンフランシスコ近郊の町オークランドで発生した火事だ。筆者はそのとき,留学生としてオークランドの対岸にあるサンフランシスコにおり,サンフランシスコ・ジャイアンツのホームゲームをTV中継で見ていたら,みるみるうちに空を覆うような真っ黒な煙が背景の山々を覆っていき,衝撃を受けた。
このときのオークランドヒルズ大火で自分の家が全焼してしまったのが,あのウィル・ライト(Will Wright)氏だ。1989年にリリースした「シムシティ」ですでにゲーム界のスーパースターになっていた彼は,当時は蟻コロニーをシミュレートする「SimAnts」をリリースしたばかりで,ライト氏は焼け出された経験をもとに,「自分の人生を再設計する」ようなシミュレーションゲームの着想を得たそうだ。
しかし,まだゲームの企画としては十分に練り込まれておらず,「Project X」というコードネームでコンセプトが固まるまで寝かされ,そのあいだにも「SimCity 2000」や「SimCopter」といったシリーズものが優先された。
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そんななか,ライト氏は1995年に作られた「シムタウン」のプログラマーである,スタンフォード大学を出たばかりの青年,ジェイミー・ドーンボス(Jamie Doornbos)氏を,経営陣に談判して借り切り,「The Sims」(第1作目の邦題は「シムピープル」)の原型を作り始めた。
当初は,町作りが間接的に影響してAIキャラクターが成長していくようなコンセプトだったらしいが,テストを続けるうちにライト氏は,「人の欲求や行動をシミュレートする」ことで発生するキャラクター同士のインタラクションに楽しさを感じるようになったという。1997年にMaxisがElectronic Artsに買収され,1998年に「SimCity3000」をリリースしたあと,「The Sims」の開発に全力を傾け始めたが,Electronic Artsの幹部たちは“ドールハウス・シミュレーター”をリリースすることは大きなギャンブルであると考えていたようだ。
筆者もこの頃にはジャーナリストとして活動を始めており,ライト氏を取材するためMaxisを訪ねたが,会議室に大きなドールハウスが置かれていたことが強く印象に残っている。「この(前代未聞の)ゲームのコンセプトを紹介するには,ドールハウスを見せるのが一番だ」とライト氏は話し,同時に「女児向けではなく,幅広い層にアピールしたい」とも話していた。企画段階でライト氏が頭の中に描いていたものを,開発チームやパブリッシャに説明するのがどれほど難しいことだったか,容易に想像できる。
この頃のメジャータイトルのほとんどは若い男性をターゲットとしたものがほとんどで,「The Sims」のような老若男女を問わずに楽しめる作品は少なかったので,Electronic Artsが心配するのも無理はない。もっとも,「The Sims」はゲーマーが神のようにAIキャラクターたちに介在していくという,ライト氏のニヒルな人生観が溢れた作品であり,その心配は杞憂に終わった。
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前代未聞のゲームにしてヒット作になったザ・シムズ
実は,こうした「ザ・シムズ」シリーズについての顛末と,その功績については,2010年2月に上梓した「第251回:10周年を迎えた,The Simsシリーズを振り返る」でもまとめている。本記事のために自分で書いた15年前の記事を読んだが,我ながら学ぶところも多い。
新たなプレイヤー層を“カジュアル”から“コア”へと変えただけでなく,YouTube以前の時代にコミュニティを形成し,DLCの販売戦略により,シングルプレイヤーゲームでもライブサービスになり得ることを証明するなど,さまざまな功績を持つゲームだ。
ともかく,2000年2月にリリースされた「The Sims」は,その年だけで1150万本の販売を記録した。これがPCの台数が少なかった25年前にどれだけすごい数字だったかというと,1994年にリリースされたFPSの金字塔「Quake」の初年度のセールスは推定500万本。アクションRPGというジャンルを作り出した1997年の「Diablo」は65万本,2000年の「Diablo II」は400万本だ。PlayStation 2プラットフォームで欧米では2001年と2002年のトップセールスに輝いている「Grand Theft Auto III」も600万本というから,「The Sims」はまさに社会現象であったと言える。
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「ザ・シムズ 4」がリリースされた当初,Electronic Artsは「すべての自社タイトルをオンライン化する」ことに社運を賭けており,2013年3月にリリースされた仕切り直し版「シムシティ」もオンラインのみのゲームとなったが,不安定なサーバーが多くのファンから批判された。それを受けて,「ザ・シムズ 4」はオフライン化されている。
開発現場でも混乱があり,これを機にオークランド近辺にあったMaxisは2015年にスタジオを閉鎖し,サンフランシスコ南部にあるElectronic Arts本社内のスタジオに吸収された。
そうした内部の不安定な状況を感じ取ってか,新しいゲームエンジンや,シム人たちの感情を表現した高いAI技術を搭載しながらも,「ザ・シムズ4」の初動のレビューは高くはなかった。
しかし,その後10年にわたって,17本の拡張パックと12本のゲームパックを持続的に展開し,2022年10月には本編を無料化。地道な努力によって,「ザ・シムズ 4」は,これまでのシリーズでも最も長寿化したタイトルとなり,無料化に伴い新たに獲得したプレイヤー3100万人を含む,「総計8500万本」を達成したことが2024年5月に発表されている。
もちろん,ゲームビジネスがグローバル化した2010年以降は,その数字を凌ぐ「Grand Theft Auto」や「Call of Duty」のような超人気シリーズも出ているが,根強いファン層に加えて新しいゲーマーたちにも十分アピールできたのは大きなプラスだろう。
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Maxisは,2022年にはElectronic Arts内部で再編があって「Maxis Studios」という本社直属の開発部門となり,同時に「ザ・シムズ」シリーズ第5弾であるコードネーム「Project Rene」を開発中であることを公表している(関連記事)。その後の情報開示はほとんどないが,「ザ・シムズ 4」以来のゲームディレクターだったグラント・ロディーク(Grant Rodiek)氏が1年ほど前に退社しているのは,決してポジティブではないニュースと言える。
また先日,「バトルフィールド」新作の開発で,ファンコミュニティを能動的にプレイテストに参加させる「Battlefield Labs」を始動させるアナウンスがあったが,同様に「ザ・シムズ」についても「The Sims Labs」を用意するという。今後は「Project Rene」についての具体的なニュースが公開されていくことを願うばかりだ。
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著者紹介:奥谷海人
4Gamer海外特派員。サンフランシスコ在住のゲームジャーナリストで,本連載「奥谷海人のAccess Accepted」は,2004年の開始以来,4Gamerで最も長く続く連載記事。欧米ゲーム業界に知り合いも多く,またゲームイベントの取材などを通じて,欧米ゲーム業界の“今”をウォッチし続けている。
- 関連タイトル:
Project Rene(コードネーム)
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