連載
【ヒャダイン】無音という選択肢について考えた
ヒャダイン / 音楽クリエイター
ヒャダインの「あの時俺は若かった」 |
第63回「無音という選択肢について考えた」
ども。暖かくなりましたね。1年中5月の気温だったらいいのになぁと思っております。
さて,最近久しぶりにRPGをやりました。「二ノ国II レヴァナントキングダム」(PC / PlayStation 4)です。元スタジオジブリの百瀬義行さんがデザインしたキャラクターと,久石 譲さん作曲の音楽がウリということで,これはやらないわけにはいかないでしょ! 100時間ほどかけてゆっくりとクリアしました。
ゲーム内はいろんな要素があり,それでいて分かりやすくて楽しかったです。いろいろと感じた部分はインターネットにあふれるレビューとほぼほぼ同じなので割愛させていただきます!
で,このゲームで遊びながら,「やはり音楽の良さって重要だな」と痛感した次第です。PlayStation 4ということで,容量お構いなしな部分もあってたくさんの曲があります。
最近主流のスマホゲームの場合,ファミコン時代なんかと比べたら音源自体はリッチなんですけど,容量の問題があるからか曲数が限られるし,ループも短かったりしますよね。あとループポイントが雑で繰り返しています感が強かったり。それに,そもそも音質も限定されます。いいスピーカーで聴くこともあんまりないし。
その点,やはり据え置き機は強いですよねー。家のスピーカーで高音質で聴けるようにしている人も少なくないでしょう。今回,久石 譲さんが手がけられた音楽は本当に素晴らしかったです。オーセンティックな劇伴曲からデジタルサウンドまで縦横無尽で,ゲームの世界観にとても入りやすかったです。もちろん打ち込み曲もありますが基本生のオーケストラで録っているので臨場感がやばい。めっちゃぜいたくですよ。
久石 譲さんの楽曲って,インストものでも口ずさめるのがいいんですよね。僕,これってインストものを作るにあたってとても重要だと思っていて。ジョン・ウィリアムズの作品だって口ずさめるじゃないですか。つまり,“歌える=キャッチーさ”だと思うんです。でもBGMが悪目立ちしてはいけない。そこのさじ加減こそが,プロがプロたるゆえんなのだと感じています。
というか,ですね。あの静寂を基調としていたゲーム内に211曲も存在していた,ということにまずびっくり。基本,フィールド内は自分の足音と自然の音のみ。研ぎ澄まされた世界の中で冒険していた印象が強いからこそ,この曲数にびっくりしたのですが……。しかしながら全曲再生してみると,聴いたことのある曲だらけ。基本,静寂だからこそたまに聴こえる音楽を鮮明に覚えているんですよね。この手があったかー!
複数のミュージシャンが担当している今作なのですが,縦軸として「ピアノ曲」というコンセプトがあるようで,ピアノの一粒の美しさ,そして余韻の美しさが存分に生かされております。曲のジャンルもさまざまなワールドミュージックが取り入れられており,雪国から砂漠まで,昼夜問わず旅するリンクを美しく彩ります。
ここでハっと気付いたのです。僕はBGMは口ずさめることが重要だと信じて疑わなかったのですが,今作のBGMで口ずさめるのは,叙情的なアコーディオン曲を始めとした数曲だけだな,と。でも全部,聴いた記憶が鮮明に残っている。高度な演奏力と複雑かつシンプルな楽曲構成。今回の作品はそれが過不足なくハマっていて,逆にこれ以外は考えつかないんですよ。キャッチーさを極力抑えることにより,プレイヤーの緊張感やゲームの世界観の純度を保つ,というか。
そう考えて思い返してみました。ファミコン初期の初期ってBGMはほとんどなかったですよね。僕は「ゴルフ」という作品が好きでよくプレイしていたのですが,あれはBGMが皆無でゴルフボールを叩く音,そしてブイーンという飛んで行く音(冷静に考えたらボールが飛んでいくときの音なんて聞こえるはずないんですけどね。現実では),そしてOBした時のブザー音。本当にそれくらいでした。しかし取り憑かれたようにプレイしていた記憶があります。
もともとドラマ性もなくストイックにゴルフをするだけのゲームだから,それで良かったのかもしれません。
となると,ゲームにBGMは必要ないんじゃないか? ぐらいのことまで考えてしまったのですが,それは明らかにNOですよね。ゼルダの伝説BotWにはBGMが無いんじゃない。「無音」というのが音楽の一つとして採用されていたのだな,と思います。
個人的な話になりますが,曲を作っていたり歌メロを作ってたりしてよく感じるのが「休符って音符だなー」ということ。休符というのは歌っていない部分,という解釈ではなくて,あえて音を出していない,という解釈なんですよね。
ジョン・ケージという音楽家の「4分33秒」という曲は,それは4分33秒ずっと無音なのですが,それもきっと同じ解釈で,ただ音を出さず休んでいるのではなく,音を出さないという選択をしているということだと思っています。それぐらい,休符や無音は「音」として重要なファクターなんですよね。
これは音だけに限ったことではなくて,映像表現とか写真や絵画でも同じだと僕は思っていて,「写さない」「撮らない」「描かない」という選択肢は能動的な表現方法の一つではないでしょうか。
僕が一番言っちゃいけないミュージシャンだと自覚しつつの発言ではあるのですが,日本人のPOP表現は足し算が基本で,こういう無音の選択肢が苦手な気がします。それがいいか悪いかは別にして,です。例えばビルボードのチャートに上っている曲を聴いてみると,音がスッカスカです。ベースとドラムだけ,みたいな曲もあります。それで成立しているのですが,日本のトラックは潤沢ですよね。足し算してなんぼみたいな。
再度言いますが,僕はそれがいいか悪いかは問題としていません。どちらもいいと思っています。それどころか世界の潮流に逆らって足し算を続けるJ-POPに愛を感じています。しかし,足し算することしか知らないのと,引き算の美学があることを知りながらそれでも足し算をするのでは,大きく違うと思っています。
ゼルダはまさしく後者で,いくらでも潤沢にできたBGMをあえて引き算し,休符という音符によって世界を表現したのでしょう。逆に二ノ国IIのような王道RPGには,華やかでゴージャスなBGMが必要不可欠だと思います。
今回ゼルダの伝説BotWのCDを聴き込んで感じたのは,我々は休符を恐れてはいけない,ということです。音が無いのは安っぽいことではない。貧弱な感じがしちゃうからと,ひたすら音を詰め込むほうが貧乏性なんですね。休符という音符をあらためて見直す機会になりました。
とかいいながらドンガラガッシャン詰め込みJ-POPを今日も作ってるんですけどね! どないやねん。
■■ヒャダイン(音楽クリエイター)■■ ヒャダイン氏は,5月23日に発売された,ももいろクローバーZの10周年記念アルバム「桃も十、番茶も出花」の「初回限定 -モノノフパック-」に収録されている,「Z伝説 〜ファンファーレは止まらない〜」で作詞と作曲を担当。「2011年発売の前作『Z伝説 〜終わりなき革命〜』のメロディを活かしつつ,ほとんどメロを変えるという今までにない作り方です。まさに続編。個人的にうまくいったと思うのですが,いかがでしょうか」とのことです。 |
- 関連タイトル:
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ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド
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