インタビュー
癌,倒産,自己破産,約20年ぶりのゲーム市場復帰。「クォヴァディス」「ありす in Cyberland」のグラムス元社長・吉田直人氏インタビュー
Digital Entertainment Assetは,体験版のリリースが11月に予定されているブロックチェーンゲーム「Job Tribes」を開発する企業。そして吉田氏は,1990年代にグラムス(※)というゲーム会社を経営していた人物だ。
※1991年に設立(当時の社名はグローバルデータ通信)され,1997年まで存在した企業。現在もグラムスという名称の会社は存在するが,同社との関係性はない。
グラムスはセガサターン用ソフト「クォヴァディス」やPlayStation用ソフト「ありす in Cyberland」で当時のコアなゲーマーに強いインパクトを与え,アバロンヒル製PCゲームの日本語版を発売したことでウォーシミュレーションファンから支持を得たりもしたが,1990年代の荒波の中に消えてしまった。今回,その裏側のエピソードや,ブロックチェーンゲームをきっかけに22年ぶりのゲーム業界復帰を果たすことへの想いなどを聞いた。
ゲーム業界の天使と悪魔
4Gamer:
よろしくお願いします。まず,吉田さんのゲーム歴についてうかがわせてください。
吉田直人氏(以下,吉田氏):
もともとゲームが好きで,中学生のころは「スペースインベーダー」のテーブル筐体に100円玉を積み上げて遊んでました。でも子供のお小遣いなんて,すぐに無くなっちゃうわけです。それで辛い思いをしていたのですが,そんな中で任天堂がファミリーコンピュータを出して,「天使みたいだ!」と思ったんです。最近,何かのアニメでもそういうのがありましたよね。
4Gamer:
「ハイスコアガール」でしょうか。PCエンジンですが,「これが無かったらゲーセンで使う金は倍以上になって,とっくに親に勘当されてたぜ」という。
吉田氏:
そうです。あの主人公とまったく同じで,「家でタダでゲームを遊べる!」と喜んだんですよ。実際にはハードもソフトも買っているので,前払いみたいなものなんですけど。
4Gamer:
それでも都度のプレイ料金は必要ないので,お得感はありますよね。
吉田氏:
当時の僕は,お金を奪っていくようなゲームメーカーは悪魔で,家庭用移植版を出してくれるメーカーは天使だと思っていたんです。
4Gamer:
アーケードゲームでは稼働率を上げるために「3分で殺せ」という風習が一時期ありましたが,ちょっとやり過ぎなところもありました。
吉田氏:
ちなみにゲームとの出会いはもっと古くて,小学生のころテレビに接続するゲーム機が家にあったんですよ。棒が画面の左右にあってテニス,棒が2つずつに増えてダブルス,みたいなやつなんですが。
4Gamer:
年代的には「テレビテニス」(エポック社から1975年に発売されたゲーム機)かもしれませんね。
吉田氏:
ゲームの原体験はそこなんです。高校時代はボードゲームも流行っていて,アバロンヒルの作品を遊んでいました。でも大規模なゲームだと1回のプレイに1週間くらいかかったり,ルールブックが分厚くて友達が読んでくれずに遊べなかったりしたんです。もともと軍隊の机上演習がルーツにあるので,簡単なものではないんですよね。
「これがコンピュータゲームになったらいいのに」と思っていたのですが,当時(1980年ごろ)の家庭用ゲーム機では,そんな難しい処理はできなかった。そういうこともあって,大学に入ってからPCを買ったんです。
4Gamer:
当時のPCというと,機種は何でしょうか。
吉田氏:
世の中にはPC-88とかFM-7とかもありましたが,僕が持っていたのはPC-6601です。3.5インチのフロッピーディスクドライブが初めて内蔵になった機種でした。
ただ,僕は立教大学出身なのですが,あそこって派手好きでミーハーな学校なんですよね。高校生のころSF小説を読むようになって,ハヤカワSF文庫などを1年間に300冊くらい読んでいたこともあったのですが,当時の立教では「SFが好き」だったり,「ボードゲームやってる」や「PCを持っている」みたいなやつは,“根暗”と言われて大学生活が終わってしまう(笑)。だから,友達が家に遊びに来るときは,PCを布で隠したりしていました。
グラムス創設。PC-98から始まり,Windows 3.1や3DOでの下積みへ
4Gamer:
大学卒業後,編集プロダクションや人材派遣会社の設立を経て,1991年にグラムスの前身であるグローバルデータ通信を立ち上げられたわけですが,最初に手がけられたタイトルは何だったのでしょうか。
吉田氏:
「地球防衛少女イコちゃん UFO大作戦」(以下,UFO大作戦)という,PC-98向けのアドベンチャーゲームでした。
4Gamer:
実は資料として用意してみました。VHSは欠品だったのですが。
吉田氏:
これは懐かしいですね(笑)。まずPCゲームを作ることは決まったのですが,いきなりオリジナルは厳しいということで,特撮の「地球防衛少女イコちゃん」をアドベンチャーゲームにしようという話になったんですよ。
(同梱のチラシを見て)「東京人工群島」も懐かしいなあ。僕ら,ニフティサーブしかパソコン通信のサービスがなかったころに,草の根ネット(小規模なパソコン通信のネットワーク)をやっていたんですよ。
パソコン通信時代の,一種のオンラインゲームである「東京人工群島」が印象的だった人は少なくないようで,今でもファンサイトを公開されている人がいたりします。独自の草の根ネットもそうですが,「UFO大作戦」も作画が遊人さんだったりVHSが同梱されていたりと,この時点から豪華志向に感じられます。
吉田氏:
ただ,「UFO大作戦」はセールス的に大失敗だったんです。原作が実写の特撮作品だったので,アドベンチャーゲームにしてもファンに訴求できなかった。それで2作目をどうしようかと話し合っているうち,FM-TOWNSが出てきたり,CD-ROMドライブを標準搭載したMacintoshが出てきたりして,マルチメディア時代になってきたんです。
4Gamer:
ゲーム市場で言うと,PlayStationやセガサターンの前夜といった時代ですね。
吉田氏:
まあ,メディアは「マルチメディア時代到来! 10兆円マーケットになる!」と言って騒いでましたけど,当時の僕らは「記憶容量がデカくなっただけじゃん?」くらいにしか考えていなかったですね。それで,「いっぱい入れられるなら,いっぱい入れたものを作ってみよう」ということで「セクレ」という,電子出版のグラビア写真集シリーズを出したんです。先に経営していた編集プロダクションが男性誌向けだったこともあり,いろいろな出版社やカメラマンからアイドルの写真を提供してもらうことができました。
本当はスーパーファミコンなどのコンシューマゲーム機でゲームを出したかったんですけどね。当時の任天堂さんってハードルが高くて,なかなか新規の参入を認めてくれなかったんです。「UFO大作戦」を作ったのも,コンシューマへ行くための実績を積むためという部分があったりしました。
4Gamer:
言うなれば下積み時代というわけですか。
吉田氏:
このころ,松下電器産業(現パナソニック)がゲーム市場へ3DO規格を投入しました。松下さんもゲーム市場的には新参なので,ソフトハウスは喉から手が出るほど欲しかったからでしょうが,僕らみたいな小規模メーカーにも声をかけてもらえました。それで3DO向けに細川ふみえさんをフィーチャーした「セクレ フーミンのおもちゃ箱」を出すわけですが,ゲームではないので売れないわけです。
3DO用ソフトなのでゲームだと思って買われるのですが,中身は写真集なので評価が酷いことになって。「変なことになってるな」と思ったりはしましたが,開発実績が認められてセガサターンに参入できて,そこで「クォヴァディス」を出すことになるんです。これが僕らの想定以上に売れて,ゲームメーカーとして認知されるようになりました。
Mac OS Systeam 7向けのソフトとしてリリースされた,電子出版グラビアの「セクレ」シリーズ。画像は千葉麗子さん出演の第7弾 |
3DO向けにリリースされた,細川ふみえさん出演の「セクレ フーミンのおもちゃ箱」。一応「作ったCDジャケットの出来栄えによってPVの視聴時間が決められる」というゲーム的な要素は搭載されている |
雛形あきこさん出演の「いつも瞳の中に 雛形あきこ」など,フォトCD(画像を収録したCD)も複数リリースされていた |
フォトCDの対応プラットフォームはPC-98にFM TOWNS,セガサターンおよび派生機,3DO規格機,PC-FX,CD-iプレイヤー……“時代”が感じられる |
4Gamer:
ちょっと話は脇道にそれますが,グラムスからリリースされていましたジャニスブランドの製品についてもうかがえますでしょうか。要はアダルトゲームなどの話なのですが。
吉田氏:
ジャニスは,グラムスとは無関係な小さいプロダクションだったんです。制作費が無いということで,お金を貸して,結果的に営業や販売の面倒を見ることになったんですよ。
4Gamer:
なるほど。ジャニスはグラムス倒産後に「とらいあんぐるハート」でヒットを飛ばして,それが今も人気の「魔法少女リリカルなのは」シリーズにつながっていきますが,グラムスの出資が無ければそれらも無かったかもしれませんね。
吉田氏:
ただ,関連会社みたいな形にはなっていたものの,ジャニスはまったくの別会社なので,あまり覚えていることはないですね。でも森山(大輔)くんの絵はすごく鮮烈だったんですよ。それで,「ありす in Cyberland」のイラストは森山くんに担当してもらったんです。
4Gamer:
グラムスでのゲーム開発に,吉田さんはどのような立場で関わられていたのでしょうか。
吉田氏:
だいたい僕はプロデューサーみたいな立場でした。初期は現場に任せていましたが,「クォヴァディス」以降のコンセプトは僕なんですよ。例えば「宇宙もので,友達同士が戦うような話で,俺を泣かせてくれ!」みたいなキーワードをクリエイター陣に伝えて,そこから上がってきた設定や起用イラストレーターなどの案について判断する,最終決定者でした。
そもそも,「何を作るか」という指針を出さないと,クリエイターもうまく作れないんです。「自由にやっていいよ」と言われても,よほど自分でやりたいものが無い限り,中途半端になったり何かのパクりになったりしがちです。
4Gamer:
となると「クォヴァディス」の,SFの世界であったり硬派なウォーシミュレーションであったりという部分は,学生時代に親しまれたハヤカワやボードゲームの影響が強いのでしょうか。
吉田氏:
その通りで,ほかにも「機動戦士ガンダム」や「銀河英雄伝説」が強く影響しています。「クォヴァディス」では,見る立場によって解釈が変わる「自分なりのガンダムや銀英伝」的な作品をやりたいと思って,そういう大枠をクリエイター陣に提示して作ってもらいました。
咽頭癌の発症とグラムスの事業拡大
4Gamer:
「クォヴァディス」はヒットして,続編の「クォヴァディス2 〜惑星強襲オヴァン・レイ〜」(以下,クォヴァディス2)やPlayStation版が作られるわけですが,この時期に吉田さんは咽頭癌を発症されるわけですね。
吉田氏:
はい。癌が発見されたのは続編を作っている最中でした。食べ物が何かに引っかかって飲み込みづらくなって,健康診断で行っていた病院に耳鼻科もあったので,診てもらったんです。
すると何かできているのが見つかって,一週間くらい通院したんですね。最初は若い先生が担当していたんですけど,それがベテランの先生に替わって,すぐに手術だということになりました。僕は最初,声帯ポリープだと思っていたのですが,切除した組織を検査したら癌だと判明するんです。
4Gamer:
初期段階で発見できて,何とか……といった感じなんですね。
吉田氏:
今で言うステージI(癌組織が筋肉層で留まっている)かステージII(筋肉層を越えたがリンパ節への転移が無い,もしくは微弱)だったと思います。実は,僕が癌だと知るのはだいぶ後なんです。当時は癌の告知をするお医者さんって少なかったんですよ。
ただ,放射線治療が始まるので,すぐに「おかしいな」と気付くわけです。癌でもなければ放射線治療なんてやるわけないじゃないですか(笑)。
4Gamer:
確かに。
吉田氏:
それでも僕は舐めてかかっていたのですが,放射線治療の後遺症は酷くて,10日目くらいから痛みが強くなり,2週間くらいの治療が終わるころには完全に声が出なくなっていました。ろくに食事もできなくなって,そんな状況が1か月以上続いたんです。
缶ジュースみたいな流動食を病院からいただいて生活していたのですが,それしか口にできないので1日に2,3回は貧血で倒れました。当時は85キロくらい体重があったんですけど,それも60キロくらいまで簡単に落ちてしまったんです。2か月か3か月くらい,会社に行くこともできませんでした。
4Gamer:
昨年,経済誌に掲載されたインタビューによると,それで「死ぬまでにドラゴンクエストのような大ヒット作を作りたい」となって事業を拡大していったとか。
吉田氏:
僕としては「作品を世に残したい」という気持ちが強かったんです。世界的にコンテンツを売り出すにも,例えば日本人の役者さんが日本語で演じた実写映画だと,どうしてもハードルが高い。でも,アニメやゲームだとハードルが一気に低くなります。
それに,今でこそゲームやアニメが市民権を得ましたが,あのころはまだそういう感じではなかったんです。だからクオリティの高い作品を作って,大人の皆さんに「ゲームやアニメは日本の文化だ」というのを認めてもらいたいと思っていました。当時のメディアに対しても,「ゲームとアニメは日本の文化だ! 単なる子供のオモチャじゃない!」と叫んでいたくらいです。
4Gamer:
このころだとPlayStationや「新世紀エヴァンゲリオン」のヒットで,ゲームとアニメが子供やマニア以外にも楽しまれるようになってきたという時期ですね。
吉田氏:
そうでなくても,会社自体が急成長していたんですよ。社員数は300人くらいだったかな。
ゲームだけでなく,アニメのスタジオも作っていました。当時はM&A(他企業の合併/買収)が今ほど盛んではなかったので,ゼロからスタジオを作らなければならなかったんです。そうなると,どなたかを採用して,その人を中心に他の人を採用して……と,採用だけで莫大なコストがかかる。さらに,いろんな会社の文化が持ち込まれるので,体制にフィットしないんですよね。
ゼロからスタートした会社で,僕もゲームメーカーにいたわけではなかったですし,人を採用して,チーム編成をして,そのチームが馴染んで,一体感を持って作品を作るというところまで辿り着くのは難しいと感じていました。それを「作りたい」という一心で暴走して,どんどん拡大していたところで癌になってしまって,焦ってさらに推し進めちゃったんです。
4Gamer:
暴走的な事業拡大にしても,「ありす in Cyberland」で行われた大規模なメディアミックスの勢いは脅威的に感じられます。なぜあんな展開が可能だったのでしょうか。
吉田氏:
それはサラリーマンのプロデューサーじゃないからです。僕が自分のお金で,自分がリスクを背負ってやっているので,全部僕がジャッジできるわけです。
社外の人達にとって,「どういう作品ができるのか」って発売まで分からないじゃないですか。そうなってくると,誰が作っているか,どういう気持で作っているか,どのような状況で作っているのかが,判断材料として重要となります。そこで,サラリーマンだったら大きなリスクは負えないわけです。それが,僕がプロデューサーだと「僕らはこういうことをやります」と言い切れる。そうしていたら周りの人も勢いに飲み込まれて,「なんか一緒にやっておいた方がいいんじゃないか?」という感じになっていったんです。
こういうゲームを主体にしたメディアミックス展開って,自分で言うのもなんですが,僕はグラムスから始まったと思っているんです。
4Gamer:
ゲームのスピンオフやタイアップは数多くありましたが,本格的なゲーム主体でのメディアミックスを前提としたタイトルとなると,グラムスのタイトルは最初期のものですよね。
吉田氏:
ゲームって1本作るのに億単位のお金がかかって,広告も出さなきゃいけない。広告をTVCMでやると,それだけで1億,2億が飛んでいくんです。でも,15秒のCMなんて後に何も残らないじゃないですか。
それが,番組枠を買い取らせていただいて,僕らが作ったアニメを放映すれば,それ自体を面白いと思ってくれたり,キャラクターに思い入れを持ってくれたりするんじゃないかと思ったんです。その主題歌だったり声優さんのアニメなりの演技だったり,そういうところから雰囲気がより伝わるんじゃないかと。
吉田氏:
それに,アニメになると「お菓子を作りませんか」とか「タイアップ曲はどうでしょう」とか,どんどんコンテンツが広がっていくんですよ。あれは僕らとしては幸せでした。僕らの「作りたい」という気持ちが,周りを引き付けたんだと思うんです。
結果的には無茶をしましたし,「ありす in Cyberland」のアニメは酷いクオリティのものになってしまったんですけど(笑)。でも,考え方としては今でも正しかったと思っています。
4Gamer:
アニメは作画崩れが酷く,2話で打ち切りの判断を下したとか。
吉田氏:
制作体制が追い付かなかったんです。1話目はまあまあ良かったんですけど,2話目は間に合わなくて酷いものになってしまいました。
4Gamer:
巷では単純に「クオリティが低かった」という説が強く残っていますが,制作が間に合っていなかったから,そうなってしまったんですか。
吉田氏:
どこかのタイミングで進退を判断すべきだったのですが,制作プロデューサーが僕に怒られるのを怖がって最後まで言わなかったんですよ。なんとか納品はできたのですが,納品できても放送しちゃいけないクオリティで。僕は放送が初見だったのですが,ショックで打ちのめされました(笑)。そのプロデューサーには翌日クビだと告げましたよ。
4Gamer:
乾いた笑いしか出ない話ですね……。
吉田氏:
スタッフは才能のある人達がいろいろといたのですが,そのバラつきが大きすぎて,会社として一体感を持って機能できなかったのがグラムス最大の敗因ですね。
それでも,僕が癌にならず焦っていなかったら違う景色を観られたかもしれないと,今でも思うんです。焦って多額の借り入れや開発体制の拡張をしたのですが,それで「社長,狂ったんですか!?」と言って辞めていった社員もいました。
4Gamer:
アニメスタジオを抱えたゲーム会社というもの自体,なかなか奇抜な体制に感じられます。
吉田氏:
オリジナルのゲームを作って,メディアミックス展開で世界の人々に向けて売り出していく。なおかつ,ムービーはデジタルアニメーションで,高いクオリティの映像を観ていただく。それがグラムスで思い描いていた最終的なゴールでした。僕は,メディアミックスを展開するならセル画よりもデジタルアニメーションだと思っていたんです。
Animoというデジタルアニメーションにおける最初期のツールがあるのですが,それ用のPCをディズニーは15台くらい導入していました。そして,グラムスは同じものを10台導入していたんです。
4Gamer:
平たく言ってしまえば,“世界のディズニー”の2/3に匹敵する制作体制は整えていたということですか。
吉田氏:
「バーチャファイター」以降,ゲームはポリゴン全盛になって,メーカーはこぞって1台3000万円くらいするSilicon Graphicsのコンピュータを買っていました。でも僕は,勝負するなら3DCGじゃなくて2Dのアニメーションだと思っていたんです。3DCGは海外メーカーとの競争になって,厳しい状況になるだろうと。
4Gamer:
実際,ハイエンドなグラフィックスで戦えている国内ゲームメーカーは一部だけになりました。
吉田氏:
デジタルアニメーションは,セル画よりも圧倒的に早くて綺麗で,大きなイノベーションでした。撮影もコンピュータ上で行うので,下からミサイルが撃ち上げられてくるシーンで空間の奥行きを演出するのも,セル画だと撮影技術を駆使しなければいけなくて大きなコストがかかりますが,一瞬で作れるわけです。
日本のアニメーターがAnimoを使いこなせれば,ディズニーのクオリティを超えるような,すごいアニメーションを作れるんじゃないかと思ったんです。それに,当時はアニメや漫画の表現は日本が圧倒的な強さを誇っていました。最近は中国や韓国もすごくて,若干ヤバいと感じていますが。
4Gamer:
アニメ業界に新風を吹き込もうとしていたわけですね。
吉田氏:
あと,アニメーターの給料も上げたかったんです。アニメーターの給与問題は最近話題になっていますが,テレビ番組の制作予算でアニメーションを作るのが限界だというのは,すでに当時から言われていました。クリエイターにちゃんとお給料を払って,ちゃんとした環境で働いてもらうとすると,やはりゲームなどのワールドワイドに売れるコンテンツを併せないとやっていけないわけです。
吉田氏:
そして,僕らはゲームを大ヒットさせることで,アニメーターの給料を何倍にもできると考えていました。所属していたアニメーターにも,他のスタジオの1.5倍くらいの給料を出していたんですよ。普通のアニメスタジオは練馬や杉並にあって,アニメーターさんもその地域に住んでいたりするのですが,グラムスのオフィスは六本木にあったので,そこにアニメスタジオを作ったんです。アニメーターさんには嫌がられたし,文句も言われたんですけど,六本木まで通っていただけていました(笑)。
4Gamer:
なるほど。その意味でもゲーム会社としてアニメスタジオを抱えることに意味があったと。
吉田氏:
ただ,アニメーターにとってもセル画からデジタルへの移行はすごいチャレンジだったんです。コンピュータも買ってきたばかりで,どう使ったらいいかが分からない。毎日,何ができるのか研究して,いろいろ頑張っていました。
結果的には,10台のコンピュータを使いこなせないうちに会社が倒産してしまいましたが。あのコンピュータを完全に稼働させられて,作品をいくつも作れていたら,グラムスは日本最大のアニメスタジオとして,ゲームと融合させたコンテンツの展開も含め,ピクサーなどとは違う立場で世界的に有名になっていたんじゃないかと,今でも少し思っています。
あと,「クォヴァディス2」はゲーム内のアニメーションだけでなく,それ以外のパートも制作して,1本の映像作品として劇場公開しようと考えていたんです。
4Gamer:
そうなんですか! 当時のゲーム機では画質の限界が低かったので,映像作品に再編するというのは魅力的な話です。
吉田氏:
一部はスケジュール的に間に合わなくてセル画を使ったんですけど,オリジナルの映像はすごく綺麗なんですよ。“板野サーカス”のシーンはセガサターンで見てもすごいですよね。
「クォヴァディス」のキャラクターデザインを担当していただいた美樹本(晴彦)さんのご紹介で,「クォヴァディス2」では板野(一郎)さんなどのマクロスチームに参加してもらえたんです。板野さんは週に2,3回ほど来ていただいて,作画もしてアニメ部隊の指揮もして,ストーリーに関してもかなり“闘魂注入”してもらって,“超絶スーパーアドバイザー”みたいな形で関わっていただきました。
4Gamer:
この作画や演出のハイレベルぶりと,アニメーションの質感はプレイヤーにかなりのインパクトがあったみたいで,今でも「クォヴァディス3が欲しい」という人をたまに見かけます。
吉田氏:
実は,僕は今でも「クォヴァディス3」を作りたいと思っているんです。
4Gamer:
おお! 実現すれば前作から20年以上を経ての最終章ですね。
吉田氏:
デジタル特有の表現と言えば,蝿が飛んでいるシーンもありますね。この気持ち悪さを演出するのがすごく難しくて,蝿を飛ばすだけで2〜3000万円かかってます(笑)。「グラムスは,実はゲーム会社じゃなくてアニメ会社なんじゃないか」と言われることもよくありました。
あと,“顔の無いロボット”というのも「クォヴァディス2」からなんです。
4Gamer:
頭部はあるけど,目や顎のような意匠を持たないセンサーユニット的なデザインということですね。
吉田氏:
最初はありがちな顔のあるデザインで上がってきたんですけど,「もっと違うのがいいんじゃない?」という話になって,最終的には顔のようで顔じゃないというデザインになりました。これが大量に登場する最終決戦は,当時としては圧巻の戦闘シーンですし,今でも“見られる”ものだと思います。本当,これを劇場で観てもらいたかったですね。
4Gamer:
実際観てみたいですね……。最近のアニメは線密度の低い絵柄が好まれていたり,メカが3DCGだったりするので,描き込まれたメカアクションのクオリティは際立って感じられるくらいです。
倒産,自己破産,そしてゲーム業界との離別
4Gamer:
1997年のグラムス倒産についても,お話をうかがえますでしょうか。
吉田氏:
倒産したのは7月10日でした。その日,残っていた社員に社屋地下の会議室へ集まってもらいました。最盛期は300人くらい社員がいたんですけど,けっこうな人数が出ていってしまって,200人を切るくらいには減っていましたね。
今でも覚えていますよ。3時ピッタリに,「本日をもって会社を閉鎖します。皆には申し訳ない」という話をしました。僕も断腸の思いでしたが,最前列にいた海外事業部の女の子は泣きじゃくっていたほどです。
4Gamer:
これも経済誌のインタビューによると,倒産の要因としては,金融危機(第2次平成不況)の影響が強かったとのことですが。
吉田氏:
1997年の3月くらいに銀行などから返済の要求が来て,それが4月に一気に悪化して,5月には定期預金,6月には普通預金が凍結されたんです。気付けば一瞬で首を絞められていた……という状態でした。山一證券とか拓銀(北海道拓殖銀行)とかも潰れた年で,日本経済全体がガタガタな時期でした。
年明けは,放射線治療の直後で本当に治ったか治っていないのか分からないけど,まだ死なないみたいだからもう少し頑張ろうみたいな感じで,割と呑気に過ごしていたんですよ。それが4月くらいから世の中がおかしくなって,グラムスみたいな何の後ろ盾もないベンチャー企業は一瞬で潰れていきました。
4Gamer:
ところで,巷に流れている一説には「社長がインドへ旅行に行っている間に,残った社員が逃げたと思って会社を精算した」というものがあります。
吉田氏:
まったくの誤情報ですね(笑)。インドのハイデラバードに,インダスアニメーションというアニメ制作会社を作っていたんですよ。1996年に設立して,翌年に稼働させるつもりでしたが,人選をしている最中に本社がダメになってしまい,そちらも精算しました。それがこじれて伝わっているんでしょう。
4Gamer:
グラムスと傘下企業は立ち行かなくなってしまうわけですが,倒産の翌年にタイ古式マッサージ店を創業され,さらにサイバービズ(現ザッパラス)では携帯電話向けコンテンツで成功されるなど,アグレッシブにビジネスへ復帰された印象を受けます。
吉田氏:
7月10日に会社が倒産した後,僕個人もすぐに自己破産するんです。それで自己破産すると準禁治産者になる(1999年の民法改正により撤廃)のですが,免責制度があって,それを受けるまでフラフラしていました。迷惑をかけた人がいっぱいいますし,「あのときの決断が間違っていたのかな」と気持ち的にも後ろ向きになって,何をしたらいいのか分からない時期が長く続いたんです。
免責を受けて社会的には一応復帰しますが,スタッフをゼロから集めるのも大変ですし,機材を買うお金も無い。それで,できることからやろうとマッサージ店を始めました。その次にサイバービズを立ち上げて,そこでようやくコンピュータとかインターネットとかの時代に少し追いついたんですが,自信を喪失していたのでゲーム業界へ戻る気にはなれませんでしたね。
4Gamer:
メーリングリストサービスなどを展開するイオレの設立を経て,今回Digital Entertainment AssetのCEOに就任してゲーム業界へと復帰されるわけですが,そこに至ったのはどのような経緯があったのでしょうか。
吉田氏:
ゲーム業界にはずっと戻りたかったんです。グラムスが倒産しそうになったときも,セガさんに泣きついたり,スクウェアさんに助けを求めたりして,どうにかしがみつこうとしていました。ただ戻るとなると,さっきも言いましたがスタッフを集めなければいけませんし,いろいろな方々へのご迷惑を精算せず戻るのにも抵抗がありました。
実は何度かゲーム業界に戻れるチャンスはあったんです。ただ,それはソーシャルゲームが全盛になったころで,僕としてはソーシャルゲームに対して,これは思い描く“ゲーム”とは違うと感じていましたから。
4Gamer:
吉田さんはどのような部分にそれを感じたのでしょうか。
吉田氏:
課金でカードを手に入れても,延々続くゲームは飽きてしまうので,どこかでプレイを止めちゃうじゃないですか。その後に復帰してみても,カードのステータスにインフレが起きていて,何万円も出して買ったカードがゴミみたいな価値になっている。そういう,ゲームを遊んだ後に虚しさしか残らないものって,作ってもしょうがないんじゃないかと思うんです。
それはそれで面白いという人もいるのでしょうが,僕としては「お金儲けの手段としてエンターテイメントの手法を使っている」ようにしか見えないんですよ。僕なんかは命を懸けてアニメやゲームを作っていたつもりだけど,ああいう人達はお金を懸けてソーシャルゲームを作っているな,と(笑)。
4Gamer:
コンプガチャの規制や排出率の明示化など,法的な面での問題が起こったりもしましたね。
吉田氏:
本当はちゃんとしたゲームを作りたいのに,そういう人達の下で仕方なく働いているゲームクリエイターも可哀想だなと思っていました。かと言って,僕がゲーム業界に参入しても,世の中でそういうマネタイズが主流ならば,同じビジネスモデルでやらざるを得ない。僕が若いころに必死でやっていた気持ちとか,周囲の人々に言っていたことと相反するビジネスをやらなければいけないわけです。
だから,どうしてもゲーム業界には復帰できなかったんですよ。それでも「いつか復帰しよう」と思って,参考にするため深夜アニメを毎シーズン・全作チェックしていたりして,その結果「最近はゲームよりアニメの方が面白いな」などと思っているうちに,十数年が過ぎていました。
ゲーム業界への復帰。ブロックチェーンゲームに見出した未来とは
吉田氏:
そして3年くらい前,ソニー元CEOの出井(伸之)さんから「ブロックチェーンが面白いよ。これは世の中を変えるから勉強したほうがいいよ」と教えてもらったんです。いろいろ勉強していくうちに「データに価値をもたらすものだ」というのが理解できて,それを活用すればゲームに劇的なイノベーションを起こせるんじゃないかと思いました。
4Gamer:
具体的にはどのような想定なのでしょう。
吉田氏:
例えですけど「ドラゴンクエスト」などでモンスターを倒したら経験値やお金をもらえますが,「そのお金が本当のお金だったら良くない?」という考えです。そうすると,プレイヤーはゲームの中で実際に生活を営めるようになるかもしれないし,プレイヤー間でゲーム内のアセットを売り買いすることで新しい経済が始まるかもしれない。現実のお金でゲーム内のアイテムをやり取りするRMTは,運営上の問題があるとして多くの会社が禁止していますが,それとは違って“ゲーム内で完結するうえに実際の価値もあるお金”という形ですね。ソーシャルゲームの最大の欠点である“辞めたときの虚しさ”だって,売却ができるなら最悪の状況は回避できるじゃないですか。
それがゲームとして面白いものになるかどうかは僕達の腕の問題ですし,永遠に続くゲームを作りながらいかにして飽きさせないか,いつ始めても,いつ止めても楽しめるゲームにできるのかは,大きな課題です。でも,それが成功したらゲームの世界におけるルールが大きく変わるんじゃないかと思って,二十数年ぶりに復帰することにしました。
吉田氏:
グラムスのころよりも組織の作り方やマネジメントの手法は学びましたし,かつてお付き合いしていた方々が偉くなっていて,協力していただけるレイヤーも上がりました。グッドスマイルカンパニーの安藝(貴範)社長って,グラムスの営業だったんですよ。彼とニトロプラスの小坂(崇氣)社長のコンビは,良くも悪くも嫉妬して見ています。「魔法少女まどか☆マギカ」みたいなとんでもない作品を作りやがって,と(笑)。
4Gamer:
従業員数が多く,優れた人材も多かったこともあり,「元グラムス」という方は業界内に散見されますね。
吉田氏:
実際のところ歳を取ってはいますが,タイムスリップして未来で戦っているような気分です(笑)。
最初に言った「悪魔のようなメーカーと天使のようなメーカー」で言えば,長らく天使の時代が続いていたのに,ソーシャルゲームで悪魔の時代が再来したのだと思っています。それが,ブロックチェーンを使うことで,プレイヤーもクリエイターも悪魔の軍勢から解放できるんじゃないかと思っているんです。復帰した最大の理由は,そこですね。
4Gamer:
「Job Tribes」には,どのような形で関わられるのでしょう。
吉田氏:
8月にシンガポールへ移住して,Digital Entertainment AssetのCEOに就任するんです(※)。
「ドラゴンクエスト」の中のお金って,言うなればあの世界の神様がくれているわけですが,さっき言った「ゲームの中でお金をもらえる」ということをやろうとしたら,僕がゲームの世界の神様にならなければいけないわけです。そういう神様になるには,お金を作る必要があります。昔はお金を作れませんでしたが,今は仮想通貨のトークンという形でお金を作れます。それをワールドワイドで展開するなら,覚悟を決めてシンガポールに移住して,現地で構想を本格的にドライブ(前進)させようと。グラムスのころは周りに「日本から世界に出るぞ!」と言っていましたが,今回は自分自身が世界に出ていく感じですね。
※本インタビューの収録は7月上旬
4Gamer:
シンガポールは仮想通貨交換所の数や取引高などで世界的にも上位だそうですね。
吉田氏:
株による増資や銀行からの借り入れでゲームを作るのではなく,まったく新しいファイナンスの仕組みを使ってたくさんゲームを作れるとしたら,それはクリエイターのいろいろな夢にもつながると思うんです。それなら,また暴走してみようかなと思えました(笑)。
4Gamer:
日本国内での動きはあるのでしょうか。
吉田氏:
「Job Tribes」の開発自体は,日本のテコテックさんが担当しています。このほかにも,第2弾,第3弾と展開していく予定です。
国旗を侍で擬人化した「ワールドフラッグス」というコンテンツがあるのですが,実はあれも僕らがやっているんです。世界中から1日に数十件の問い合わせが来るくらい人気を得ているのですが,これも何らかの形でゲームとして皆さんに提供していけるんじゃないかと考えています。
4Gamer:
それにしても,やっぱり吉田さんのバイタリティが凄いと思うのですが,その原動力というのは何なのでしょう。
吉田氏:
自分の作品で感動して泣くような体験を味わいたいんです。子供のころからゲームをプレイしたりSF小説を読んだりしていますが,それは他人のものに過ぎないんですよね。自分で書くわけではないですが,皆で手掛けた作品で感動を味わえたら,それは人生としてすごく幸せだと思っています。
実は,義理の弟がゲームフリークでゲームの開発に携わっているんですよ。彼を見ても「幸せそうだな」と思いますので,「いつか自分達の作品に感動して皆で泣きたいよね」というのは,今でも強く考えています。
4Gamer:
本日はありがとうございました。ゲームの世界にいろいろな意味でのイノベーションが起こることを期待しています。
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