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【Jerry Chu】殴り合うよりも愛し合おう。「ブラック・ミラー」に見た“ゲームの可能性”
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印刷2019/11/16 12:00

連載

【Jerry Chu】殴り合うよりも愛し合おう。「ブラック・ミラー」に見た“ゲームの可能性”

Jerry Chu /  香港出身,現在は“とあるゲーム会社”のプログラマー

画像集 No.001のサムネイル画像 / 【Jerry Chu】殴り合うよりも愛し合おう。「ブラック・ミラー」に見た“ゲームの可能性”

Jerry Chu「ゲームを知る掘る語る」

Twitter:@akemi_cyan


 遅ればせながら,今年6月に公開された「ブラック・ミラー」の最新シーズンを観た。
 以前のコラムでも紹介しているが,「ブラック・ミラー」とはNetflixで配信中のSFドラマシリーズである。ビデオゲームに理解が深いCharlie Brooker氏が脚本を務めており,アドベンチャーゲームのような体裁を採用した「バンダースナッチ」(原題:Bandersnatch)をはじめ,ビデオゲームに焦点を当てたエピソードが多数ある。

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[2018/07/07 12:00]

 最新のシーズン5にも,ビデオゲームをテーマにしたエピソードがあった。それが,第1話「ストライキング・ヴァイパーズ」(原題:Striking Vipers)だ。本稿では「ストライキング・ヴァイパーズ」のシナリオを考察しているので,ネタバレを避けたい人は注意してほしい。


 「ストライキング・ヴァイパーズ」の主人公は,一児の父であるダニーだ。彼は誕生日パーティーで旧友のカールと再会して,新作ゲーム「Striking Vipers」をプレゼントされる。それは最先端のテクノロジーによって作られた対戦格闘ゲームだった。
 VRアドオンをこめかみに装着することで,ダニーとカールはゲームの世界に入り,キャラクターの身体に自らの意識を乗り移らせることができる。キャラクターの手足を自在に動かし,痛みや快感といったキャラクターの身体感覚は自分のものであるかのように感じる。現実世界と同然のバーチャル世界において,ダニーとカールは戦った。


 屈強な男性キャラクターを好んで使うダニーに対して,カールはセクシーな女性キャラクターを選択する。2人は若い頃のように対戦に興じるが,掴み合っている隙にカールはダニーにキスをしてしまう。カールの突拍子もない行動にダニーは取り乱し,ゲームからログアウトをした。
 ダニーは大いに困惑したが,カールの誘いを受けて再びゲームの世界に入る。すると今度は戦うのではなく,互いにキスを交わし,性的行為に及んだ。そして,その後もダニーは妻・セオの目を盗みながら,バーチャル世界においてカールと求め合うようになる。


ゲームを「クイア」にする


 このエピソードを観ていて,「クイア」(Queer)という単語が思い浮んだ。
 クイアは「奇妙な」「風変わりな」という意味の単語だが,異性愛者/シスジェンダーに当てはまらない人を指すこともある。レスビアンとゲイ,バイセクシャル,トランスジェンダー,そしてクイア(またはクエスチョニング)の頭文字を取って,「LGBTQ」と表記されることも多い(参考記事 ※CNNより)。

 ゲーム業界では,性的少数者が主役のゲームやLGBTQをテーマとするゲームが「Queer Games」と呼ばれている。また,異性愛規範から逸脱したものがクイアと呼ばれるように,規範から外れた方法でゲームをプレイしたり,解読したりする行為をクイアと称することがある。
 LGBTQを専攻テーマとするゲーム研究者,Bonnie Ruberg氏は「負けるためにプレイする」「苦痛を求めてプレイする」「尋常でない速さ/遅さでプレイする」といった,ゲームの規範にとらわれない遊び方を「クイアプレイ」(Queer Play)と命名した。

「クイアプレイはオルタナティブ(非主流)な欲求のためにゲームを流用している。クイアプレイはゲームを形作る規範的ロジックを覆し,喜びやアイデンティティ,主体性の境界を模索するようにゲームを改変させる。(中略)クイアプレイは『間違った』遊び方を包容する。あらゆるビデオゲームは規範から逸脱した視点で解読でき,また新たな可能性を付与できる。これが『play queer』である。」

※以上,Bonnie Ruberg氏の著書「Video Games Have Always Been Queer」より。原文は「queer play resists and repurposes games for alternative desires; it upends the normative logics that structure the game and transform it into a space for testing the boundaries of pleasure, identity, and agency… queer play embraces the powerful act of playing the “wrong” way. Just as any video game can be interpreted queerly, any video game can be played queerly, and thereby reimagined. This is what it means to “play queer.”」


 劇中のダニーとカールの行為は,まさにクイアプレイそのものではないか。「Striking Vipers」は格闘ゲームであり,殴り合うためのゲームだ。それにもかかわらず,2人は殴り合うをやめて愛し合った。
 カールは男性だが,VRゲームを使って女性になり,男性の親友と抱き合う。格闘ゲームの規範やルールをよそに,VR世界をトランスジェンダーらしい体験,そして同性者との抱擁の場に転じた。ダニーとカールは格闘ゲームをクイアなものにしたのだ。


競争の原理から解き放たれたゲーム


「主人公はゲームのコア・メカニクスより善良にはなれない」

 これは「Spec Ops: The Line」のシナリオライター,Walt Williams氏の言葉である。

※GDC 2013の講演より(アーカイブ。上記の発言は6:30以降)。原文は「Your main character will never be more righteous than the core mechanics allows.」

 いかに「自由度が高い」と謳うゲームでも,プレイヤーはクリエイターが許容したアクションしかできない。シューティングゲーム,格闘ゲーム,ストラテジーゲーム,ハックアンドスラッシュ――多くのゲームにおいて暴力は主流である。
 撃つ,殴る,斬る,爆撃する,轢く,踏み潰す。ゲームには暴力の動詞が豊富だ。ストーリーが主人公の行いをどれだけ正当化しようとも,ゲームの本質は変わらず,プレイヤーはただ暴力を振るう。

ゲーム業界では他者に暴力を振るう作品が主流だ(スクリーンショットは「Spec Ops: The Line」)
画像集 No.002のサムネイル画像 / 【Jerry Chu】殴り合うよりも愛し合おう。「ブラック・ミラー」に見た“ゲームの可能性”

 ゲームデザイナーのMerritt Kopas氏は「Offworld」の寄稿記事で以下のように綴っている。

「世話をしたり,世話を受けたりするゲームがあまり普及しない理由はさまざまだ。技術のせいにするのは簡単だが,抱擁より銃弾のほうがシミュレートしやすい,といった論調はより深い問題を見えなくする。世話をするのは女性的な労働であり,勇敢でもなければ面白くもない,やりがいのない仕事として軽視されている。人間と動物の仲をはじめ,他者の世話をするゲームは,よく『カジュアル』と軽んじられる」

※原文は「There’s a lot of reasons why games about giving or receiving care aren’t more common. It may be easy to chalk it up to tech issues, but those kinds of arguments? you know, how it’s supposedly easier to simulate a bullet than a hug?obscure deeper social issues. Caring is feminized labor, dismissed as not particularly valiant, interesting, or worthwhile. Games where the main project is caring for another character, usually in the form of human-animal relationships, are generally dismissed as “casual.」

 以前,「Red Dead Redemption 2」を取り上げたコラムで触れているが,ゲーム業界は男性主導と指摘される。プレイヤーとクリエイターの大半が男性だから,世話をしたり,仲間を作ったりするといった女性的な行為は重視されず,闘争と逃走をテーマとするゲームが主流となる。

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[2019/03/23 12:00]

 だが,もし戦う以外のアクションができたら? もしほかのプレイヤーを慈しむことができたら?

 ダニーとカールは男性の異性愛者であり,格闘ゲームのファンである。彼らはゲーマーらしく,殴り合いを楽しむつもりでVR世界に降り立った。しかし,2人は「男性は好戦的」というステレオタイプを覆し,対戦を忘れて,互いを愛した。

 格闘ゲームのキャラクターは「殴る」「蹴る」といった暴力的な動詞しか持たない。だからプレイヤーは殴り合う。でも,もし殴り合いと愛し合い,両方とも許されるなら,プレイヤーは後者を望むかもしれない。たとえ暴力が本質のジャンルでも,プレイヤーの意思次第でクイアなものに変えられる。ダニーとカールのクイアプレイは,暴力が主流となるゲーム文化を覆したものであり,愛し合う2人の姿はゲームの新たな可能性を示しているのではないか。


バーチャルセックスは不倫なのか?


 プレイヤー同士の性愛をゲームが可能にすると,社会にどんな影響をもたらすだろう。
 エピソードの終盤,ダニーはVR世界の情事を妻・セオに打ち明ける。彼女は理解を示し,夫婦は健やかな婚姻生活を送りながら,互いに同意した日に限り,浮気を許すことした。セオはバーで男性と交際するようになり,ダニーはゲームにログインしてカールと会う。

 この結末はSherry Turkle氏の論文を思い出させる。
 社会研究学者である氏は,1995年の著書「Life on the Screen: Identity in the Age of the Internet」のなかで,当時のオンラインゲームにおける異性装(Virtual cross-dressing)とバーチャルセックス(Virtual Sex,TinySex)を記録している。

 同書では,当時に流行した「MUD(Multi-User Dungeon)」と呼ばれるテキストベースのオンラインゲームに触れている。プレイヤーは自分のキャラクターのジェンダーを自由に選択可能で,「neuter(中性)」や「either(両方)」といった性別二元制を逸脱したジェンダーも設定できる。

1990年代のソーシャルMUDである「LambdaMOO」
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 劇中のカールが男性でありながら女性キャラクターを操作するように,MUDのプレイヤーが自身と異なるジェンダーを演じることは決して珍しくない。「女性の体験を知りたい」「人を助けたいので女性のほうが都合がいい」として男性が女性を演じることもあれば,「ほかのプレイヤーと平等の立場になりたい」という理由から男性キャラクターを選ぶ女性もいる。
 現実とは別のジェンダーを体験させることで,MUDは社会におけるジェンダーをプレイヤーに考えさせた。

 MUDにおける性転換と同じく,バーチャルセックスも盛んだったそうだ。Turkle氏の言葉を借りれば,「バーチャルセックスは2人以上のプレイヤーがMUDやオンラインサービスのプライベートルームで,キャラクターの行動や発言,感情の反応を打ち込むことで行われる。サイバー空間において,こうした行為は普遍的であり,多くのプレイヤーの中心的な活動になっている」

※原文は「Virtual sex, whether in MUDs or in a private room on a commercial online service, consists of two or more players typing descriptions of physical actions, verbal statements, and emotional reactions for their characters. In cyberspace, this activity is not only common but, for many people, It is the centerpiece of their online experience.」

 Turkle氏はバーチャルセックスの事例をいくつか挙げている。MUDにおける性的行為は官能小説を読むことと変わらないとして,パートナーを許容する妻もいれば,それにより婚姻関係を傷つけられたカップルも存在したという。夫のバーチャルセックスに反対したとある女性は,「MUDでは相手と親密になりたい,女性と“会話するだけ”の時間を楽しみたい。夫はそう言ったが,私にはそれがセックスの最も重要な部分だ」と発言している。

※原文は「But in MUDding, he is saying that he wants that feeling of intimacy with someone else, the “just talk” part of an encounter with a woman, and to me that comes closer to what is most important about sex.」

 そして,Turkle氏は次のように問いかけた。

「セックスと貞節の本質をバーチャルセックスは問う。不倫とは肉体的行為か。伴侶以外の人と感情的に親密になる感覚か。不貞が指すのは意識か。それとも身体か,欲望か,行為か。信頼の裏切りとなるものは何か。バーチャルセックスの相手の素性は重要か。現実の肉体が介在しないからこそ,より繊細で結論を導きにくくなっている」

※原文は「TinySex poses the question of what is at the heart of sex and fidelity. Is it the physical action? Is it the feeling of emotional intimate with someone other than one's primary partner? Is infidelity in the head or in the body? Is It in the desIre or in the action? What constitutes the violation of trust? And to what extent and in what ways should it matter who the virtual sexual partner is in the real world? The fact that the physical body has been factored out of the situation makes these issues both subtler and harder to resolve than before.」

 劇中のダニーとセオはバーチャルセックスの告白をきっかけに夫婦の関係を見つめ直し,婚姻外の交際を一定の範囲で認めることにした。Turkle氏の持論どおり,セックスと貞節の本質を省みたのだ。


「語るべからず」を語る


 Turkle氏の論文を読むと,「Striking Vipers」のコンセプトがさほど先進的とは思えなくなる。1990年代,オンラインゲームには女性を演じる男性プレイヤーが大勢いたし,既婚の男性がバーチャルセックスを楽しむ事例も存在した。「バーチャルセックスは不倫なのか」という議論も始まっていた。オンラインゲームの文化に詳しい読者には,今さらの話かもしれない。
 劇中の描写に非の打ちどころがないわけではない。たとえば相手に性的同意を求めることなく,カールがダニーにキスをしている。TVドラマの便宜上,こうした描写になったのだろうが,眉をひそめたくなる一幕だった。

 「Striking Vipers」は斬新ではないし,完璧でもない。だからと言って,決して評価が低いとも思わない。

Netflix「ブッラク・ミラー」公式サイトより
画像集 No.005のサムネイル画像 / 【Jerry Chu】殴り合うよりも愛し合おう。「ブラック・ミラー」に見た“ゲームの可能性”

 ゲーム研究者であるKatherine Cross氏は,RPGにおけるエロティック・ロールプレイ(性的なテーマのロールプレイ)を「Bitch Media」にて次のように評している。

「RPGにおけるセックスとセクシャリティは,遍在でありながら語るべきではないものとされる(中略)性的表現と同様に普遍的なものは,それに対する我々の沈黙のみである」

※原文は「sex and sexuality in RPGs are understood as both ubiquitous and unspeakable… The ubiquity of sexual imagery in roleplaying game culture is matched only by the silence that surrounds it.」

 ゲームにおける暴力行為は当然のものであり,我々は暴力表現について積極的に語っている。一方,性的表現の話になると目を背けがちだ。こうしたゲーム文化の暗黙の価値観を「Striking Vipers」はひっくり返した。戦闘より相愛を尊び,バーチャルセックスを肯定的に描いていることは大胆だと感じる。暴力を逸脱し,ゲームの新たな可能性への憧憬も大いに首肯できるものだった。

 近年,ゲーム業界ではLGBTQの存在感が増しつつある。クリエイターにはLGBTQへの配慮と理解が求められるようになり,セックスとクイアを得意とするゲームクリエイターが頭角を表している。Game Developers Conference(GDC)でも,ゲームにおけるセックスとロマンスを議論するセクションが開催されるようになった。Netflixというメジャープラットフォームでクイアプレイとその可能性を描いた「Black Mirror」は,こうした流れを後押しするものだろう。

 セックスとセクシャリティは人間の本能であり,我々の日常生活とアートにおいて避けて通れない。性的なトピックを嫌うのではなく,オープンに話し合えるようになり,より多くの人がゲームにおけるセックスとジェンダーについて思索するようになってほしいと思う。

■■Jerry Chu■■
香港出身,現在は“とあるゲーム会社”のプログラマー。中学の頃は「真・三國無双」や「デビルメイクライ」などをやり込み,最近は主に洋ゲーをプレイしている。なるべく商業論を避け,文化的な視点からゲームを論じていきたい。
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