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イベント
「『198Xのファミコン狂騒曲』刊行記念イベント in LOFT9 Shibuya 『ログイン』と『ファミコン通信』の時代」レポート。当事者が語る,ログインとファミコン通信の内幕
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著者の塩崎剛三(東府屋ファミ坊)氏に加え,水野震治(水野店長)氏,上野利幸(ゲヱセン上野)氏,荒井清和(荒井ちゃん)氏といった,ともに雑誌制作に携わった人々も登場し,さまざまなエピソードを語った。
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当事者が語る,ログインとファミコン通信の内幕
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この時代について,当事者の一人である塩崎氏が貴重な証言を記しているのが「198Xのファミコン狂騒曲」だ。2024年8月に出版された同書は好評を博し,日本各地で発売記念イベントが開催されている。この日はログインやファミコン通信の誌面とともに,当時の思い出が語られた。
4Gamerでは塩崎氏と,ファミコン通信のライバル誌だった「ファミリーコンピュータMagazine」の元編集長である山本直人氏の対談を行っているので,興味のある人はこちらも読んでほしい。
ファミ通VS.ファミマガの歴史。塩崎剛三氏と山本直人氏,レジェンド編集者がマイコン誌時代からファミコンブームまでを語る
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元「ログイン」「ファミコン通信」編集長である塩崎剛三氏の書籍「198Xのファミコン狂騒曲」が8月31日に発売される。これを記念し,塩崎剛三氏と「ファミリーコンピュータMagazine」元編集長である山本直人氏との対談を掲載する。ファミ通とファミマガがライバルとしてしのぎを削った日々を両名が語る。
ログインはパソコン雑誌でありながら,広範なジャンルを取り上げていたのが特徴の一つだ。フィットネスや麻雀の特集があれば,ファッションやパチンコについて取り上げていた。
女性のヌード写真が掲載されたり,荒井氏による連載漫画「べーしっ君」がアニメ化されたというパロディ記事が誌面を飾ったりと,その内容は良い意味で予測不可能なものだった。
こうした企画はお笑いと同時に「文化的な匂いのするゲーム誌」を目指し,一般の人から注目を集めるためのものであったという。編集部員が写真モデルを務めることも多かったが,当時のログインには「ヘンな顔をしないとダメ」という文化があったそうで,インパクトのある写真に水野氏も「今見ると恥ずかしい」と語っていた。
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編集者を前面に押し出したエンターテイメント重視の姿勢も印象的なもので,中には「いあ〜んバカンス」という,編集者たちが慰安旅行をするさまを伝える名物企画もあった。
これは当時の編集長だった小島文隆氏の方向性であり,上意下達の方針というよりは,塩崎氏いわく「結果的に前に出る人が集まった」のだそうだ。小島氏のこだわりは強く,写真のキャプション一つとっても面白さが求められたという。細かい部分ではあるが,こうした積み重ねによってログインの面白さが形作られていったのではないか……と上野氏は振り返る。
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小島氏は豪快な人物だったようで,昼間から飲酒し,夜中には机の上に仁王立ちにしていたこともあるという。同時に皆から慕われており,水野氏は「自分たちはみんな“小島チルドレン”である」と当時を振り返っている。ちなみに小島氏は文字が傾いた斜体をはじめとして曲がったことが大嫌いで,愛車を選んだ理由も「ダッシュボードが平らなのがいい」というものだったという。
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こうした方向性を支えていたのが,オシャレな誌面デザインである。ログインでは内部にデザイン部門を持っており,デザイン性を優先した誌面づくりが可能だった。多くの理工系雑誌では,まず原稿を書いてからデザインを決める「後割り」の方式を採るが,ログインではデザインを先に決める「先割り」の方式を採っていたからこその誌面であったという。
これは「ポパイ」の編集者であった堀内富男氏や,音楽関係のライターをしていた藪 暁彦氏といったデスクの影響が大きいと塩崎氏は語る。カルチャー誌や音楽誌は,一見パソコンやゲームとは無関係に見えるが,たとえジャンルが異なっていても良いところを貪欲に取り入れる姿勢がいかに大事であるかが分かるだろう。
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ログインの制作を通し,塩崎氏はさまざまな人と出会っている。塩崎氏と荒井氏が出会ったのもログイン関連だ。荒井氏はアスキー出版局制作部でアルバイトしていたが,似顔絵の腕前が評判となり,塩崎氏がイラストをオファーした。
塩崎氏はログインの記事を多く手掛けるエースだっただけに,荒井氏も嬉しく感じたそうだ。当時,イラストを発注する際には一緒に作画資料を渡すのが通例だったが,ログインからのオファーでは何もなしに描かなければならないことも多かったという。
そして,ログインの「スターゲームデザイナー登場」コーナーで堀井雄二氏がフィーチャーされた。ロケハンを経て「北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ」が作られたのは有名なエピソードである。
![]() 「ゴゾさんぽ」(ゴゾは塩崎氏のニックネーム)のコーナーでは,塩崎氏が思い出の地を巡り,その写真が公開された。大仁堂ビルはファミコン通信創刊の地であり,「ドルアーガの塔のすべてがわかる本」もここで作られた |
![]() こちらは倉庫代わりに使われ,後に「いただきストリート」の制作で塩崎氏と荒井氏の2人が缶詰となった通称「根津」の現在の姿 |
![]() ここには塩崎氏たちが通っていたレストラン「ガスコン」があった。とにかく量の多いスパゲティがウリで,塩崎氏と小島氏などはパルメザンチーズを1本丸々使っていたという |
![]() 韮澤ビルは,ファミコン通信が週刊化された際に編集部があった場所だ |
当時はゲーム開発の内幕に光が当たること自体が珍しかったし,それが発売前の作品ともなれば,今でもあまり例がない。ログインの先進性を示すコーナーともいえるだろう。
上野氏は同作をファミコンに移植する際,BGMの制作で参加しているが,これは当時のハードウェア事情によるところも大きかったという。当時は作曲者とファミコン向けのアレンジャー,実機で曲を鳴らすプログラマーの3人体制でBGMが作られていた……と塩崎氏は語る。
しかし,上野氏は音楽センスとプログラミング知識を併せ持っていたため,これらの作業を一人でやれたことから起用されたそうだ。ちなみに,塩崎氏は愛猫に「ゆう」という名前を付けていたが,これは堀井雄二氏の愛称「ゆう坊」からだとのことで,関係性の深さがうかがえる。
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ファミコン通信といえば語尾を「〜っ」で締める独特な文体も特徴的だったが,これは堀井雄二氏が「ファミコン神拳」で使っていた文体のオマージュであるという。文法的には正しいものではないものの,雑誌としての方向性を出すために編集部員たちにも使ってもらっていたそうだ。
ちなみに,塩崎氏たちがフレッシュジャンプで連載していたゲームコーナーでも「この文体でやってほしい」というオファーがあったという。
塩崎氏は,この文体について,漫画のセリフからの影響が大きい「集英社文体」としての側面もあると分析している。楽し気で勢いのある誌面を作り出したのは読者諸兄もご存じの通りだ。マンガのセリフが,同じ娯楽であるゲーム雑誌にも大きな影響を与えているのが面白い。
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そして,ファミコンが大きなブームを巻き起こし,パソコン雑誌であるログインの中にファミコンを扱う「ファミコン通信」のコーナーが作られたことが,その後のゲームマスコミとゲーム界を変えた。
ファミコン通信は人気となり,独立した雑誌となる。これが現在まで続くファミコン通信(ファミ通)の起こりだ。創刊号はなんと42万部も印刷されることとなった。
塩崎氏いわく「ログインが10万部に届こうかどうかというところ」であり「完全に経験の外で,未知の数字」であったという。この数字からも,ファミコンブームの規模とファミコン通信に寄せられる期待がいかに大きかったかが分かる。
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これだけの大部数でスタートしたファミコン通信だが,創刊号の返品率は80%を超え,34万部も戻ってきた。それだけに,「いきなりの休刊を示唆する関係者もいた」という。
しかし,塩崎氏はファミコン通信の編集部員たちにこの数字を知らせることはなかった。「みんなが徹夜して床で寝ているようなところに,そんなことは言えない」と塩崎氏は語る。現場のモチベーションを下げないよう,自分一人の胸にしまったというわけで,まさにリーダーシップといえる。荒井氏も「198Xのファミコン狂騒曲」で初めて知ったというから驚きだ。
そして塩崎氏は立て直しのために奔走する。松下 進氏を起用した表紙のメジャー化,「クロスレビュー」の新設,“アイドルらしくないアイドル”「森下万里子」の創造,ソフトウェアレビュー,小冊子や下敷きなどの特別付録といった施策を行った。ゲーム誌以外のメジャー誌の活動からヒントを得たもので,水野氏のアンテナの高さが役立ったという。
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クロスレビューはレビュアーたちが記名で登場し,ゲームに対して寸評とともに10段階の点数を付けるという,今やお馴染みの企画だ。こちらは水野氏が音楽雑誌の類似コーナーをオマージュしたものであり,ゲームのジャンルでこうした企画を実施している雑誌はほかになかったという。
そして,誌面のアイドルとして作られた架空人格が森下万里子である。「彼女の存在自体がクラスの中で話題になるような,素敵な女の子」を目指し,塩崎氏と水野氏と伊東みか氏がバックボーンを制作,クロスレビューでは塩崎氏と伊東氏,そして高橋久美子氏が文章を書いていった。
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この狙いは見事に当たり,森下万里子はファミコン通信の人気アイドルとしての地位を確立している。彼女が実在しなかったことは長らく秘されてきたが,イラストを描いてきた荒井氏は「198Xのファミコン狂騒曲」で真相を明かすことについて反対していたという。
![]() 森下万里子はファミコン通信のアイドルとして作られた架空人格である。複数のライターが同名義で執筆することが考慮され,細かなバックボーンが作り込まれている。筆者のように,実在すると信じて疑わなかった人も多いだろう |
![]() 読者コーナーは,サブカル誌でももう少し文化寄りの「ビックリハウス」(パルコ出版)をオマージュしたものだという |
![]() スクラッチで遊ぶ「銀はがしRPG」も好評を博したという |
また,記事では「ドラゴンクエスト」における謎解きの一つ,「たいようのいし」のありかを他誌に先駆けて掲載している。これは「危険を承知の判断」であり,メーカーからは不興を買ったものの,その号の実売は倍となる18万部にまで伸びた。
さまざまな施策が功を奏し,ファミコン通信は順調に発展していった。ついに週刊化にまでこぎつけ「ようやくジャンプと並んだ」「やがてジャンプを抜く日が来る」と塩崎氏が考えていたのは「198Xのファミコン狂騒曲」にも書かれているとおり。こうした一般誌への視線は小島氏から受け継いだものだそうで,小島氏の影響力の大きさがうかがえる。
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こうなると読者として気になるのは塩崎氏の次回作だが,既に執筆に着手しているという。ただ「この次の話ではない」そうで,「198Xのファミコン狂騒曲」から続く時代を扱ったものではないようである。そうした時代の本については「ものすごく本が売れて,読みたいという人がいっぱい出てくれば考えます」とのことだ。
また,荒井氏も2025年に「荒井清和40Yearsオールキャラクターズ(仮)」を出版する予定であるという。日本のゲーム界が躍進した時代の真実が書籍やトークショーといった形で記録が残るのであれば,同時期を過ごした人でなくとも興味深いものとなるだろう。
イベントは約3時間の長丁場だったが,明かされた秘話に来場者たちはみな満足げで,サイン会にも多くの人が列をなしていたのが印象的だった。
![]() 2025年に発売される予定の「荒井清和40Yearsオールキャラクターズ(仮)」 |
![]() トークショーの後半には「ログインから生まれたゲームたち」と題し,「白夜に消えた目撃者」のコーナーも予定されていたが,こちらは時間切れということでまたの機会になった |
![]() 当日はサイン会も行われた |
![]() くじ引きに当選した来場者には,塩崎氏が考案した「ウッドボール(決まり)」のフレーズにちなんだサイン入りウッドボール(写真中央)や,テレフォンカード(写真右)がプレゼントされた |
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